顧邵

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顧 邵(こ しょう、生没年不詳)は、三国時代武将孝則(こうそく)[1]。父は顧雍。子は顧譚顧承正室は陸氏(陸遜の姉妹)。継室または側室は孫氏(孫策の娘)。

生涯[編集]

顧雍の長男で、経書や注釈書を広く読んで母方の舅である陸績と並び称される[1]。27歳の時に予章郡太守に任命され、淫祀や礼に背く祭祀を禁止し、身分にこだわらず素質ある者に学問をさせて抜擢し、善行ある者を顕彰して正道を教えたため、一種の政治的教化としてこの地に浸透した[1]。なお、殷礼吾粲張秉丁諝らはいずれも低い身分ながら顧邵に見出されて後に重職に取り立てられた面々である[1]

このように人材を見出す眼など才覚に秀でていたが、太守在任からわずか5年で父に先立ち早世した[1]。このため父が死去するとその跡は子の顧譚が継いだ[2]。享年32。

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e 小出『三国志武将事典』P326
  2. 小出『三国志武将事典』P327

参考文献[編集]