靖康の変

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靖康の変(せいこうのへん)は、1126年から1127年にかけて、女真族北宋を滅ぼした事件。この結果、華北は金が征服し、華南に南宋が成立した。皇帝の徽宗をはじめとする皇族たちは金に連行され、皇族女性・市民女性たちは凌辱を受けた。

経過[編集]

北宋は、徽宗という暗君を戴きつつも、経済的には繁栄を謳歌していた。北宋は女真族(金)と盟約を結び、宿敵であったキタイ人を滅ぼそうとした。その結果、遼は滅亡したが、北宋は金との約束を守らなかった。そのため、金軍は大挙して南下し、北宋の首都・開封を包囲した。徽宗は退位し、長男の欽宗が即位した。欽宗は領土の割譲などを約束するとともに、妹である茂徳帝姫を敵の性奴隷として差し出した。ところが、金は講和を守らず、総攻撃によって1126年11月、開封の外城が陥落した。欽宗はやむをえず、金に出向いて交渉を行ったが、その際に捕虜となった。翌年2月には、内城も陥落し、徽宗たち皇族は連行され、多くの女性が金軍の基地で凌辱を受けた。

その後、徽宗・欽宗らは満州で屈辱の日々を送り没した。一方、たった一人逃れた皇子が、華南において大元帥となり自立し、その後、即位して高宗となった。ここに金と南宋が並立する体制が築かれ、モンゴルの襲来までこの状態が続くこととなる。

捕虜となった女性たち[編集]

陥落した開封では略奪が行われ、女性たちは犯された。『靖康稗史証』によれば、約12000人の女性が身分に応じて値段をつけられ、性奴隷として売られたという。こうした女性たちは、金軍の軍基地だった青城と劉家寺の二箇所に集められていた。そのうち容姿の美しかった5000人ほどは、満州まで連行された。そのなかの3000人は処女であったという。皇族女性たちも例外ではなく、一部は洗衣院という娼館に入れられた。

以下の年齢は、1127年時点の満年齢。

徽宗の皇女[編集]

  • 趙玉盤 - 27歳。完顔宗磐の妾とされた。宗磐が処刑されると、完顔撻撻によって娘とともに強姦された[1]
  • 趙福金 - 24歳。美人で有名だった。講和条件として媚薬を飲まされて金の武将の下に送られ、肢体を弄ばれた。その後、複数の男の妾とされ病死。
  • 趙嬛嬛 - 16歳。未婚。変の直後から輪姦されていたと考えられ、3月に流産した。その後、連行途中でも性的暴行を受け、洗衣院で売春を強要された。
  • 趙珠珠 - 16歳。未婚。完顔斜保の妾とされ、子を孕んだ。
  • 趙香雲 - 11歳。未婚。金軍の基地に拉致された。輪姦され、一ヶ月ほどで死去。
  • 趙金珠 - 11歳。未婚。満州に拉致され、翌年には洗衣院で売春を強要されていた。
  • 趙佛保 - 9歳。未婚。10歳になると、洗衣院に入れられ犯された。

徽宗の妃[編集]

  • 顕仁皇后韋氏 37歳。洗衣院に入れられた後、二人の男を妊娠。
  • 閻月媚 - 29歳。洗衣院で売春を強いられた。
  • 新王婕妤 - 21歳。兵士に強姦され、妊娠した。その後、徽宗のもとへ返された。
  • 周春桃 - 21歳。兵士に強姦され、妊娠した。その後、徽宗のもとへ返された。
  • 小王婕妤 - 20歳。徽宗の子を孕んでおり、連行途中で出産した。その後、徽宗のもとへ返された。
  • 閻宝瑟 - 19歳。兵士に強姦され、妊娠した。その後、徽宗のもとへ返された。
  • 李師師 - 年齢不明。名妓として有名。行方不明となったが、捕虜となった可能性もある。
  • 狄金奴
  • 邵元奴

欽宗の妃[編集]

  • 仁懐皇后朱氏 - 25歳。自殺した。
  • 戚小玉 - 19歳。完顔斜保の妾となることを強いられた。
  • 鮑春蝶 - 18歳。完顔斜保の妾となることを強いられた。
  • 朱慎徳妃 - 17歳。強姦され、妊娠した。欽宗のもとへ返され、出産した。
  • 韓静観 - 17歳。強姦され、妊娠した。他の妊娠した女性と異なり、主人のもとへ帰れず、完顔斜保の妾とされた。
  • 盧順淑 - 16歳。完顔斜保の妾となることを強いられた。
  • 鄭慶雲 - 16歳。強姦され、妊娠した。欽宗のもとへ返された。
  • 狄玉輝 - 13歳。強姦され、妊娠した。欽宗のもとへ返された。
  • 衛猫児 - 12歳。軍基地に拉致され、輪姦された。そこで自刎して果てた。

高宗の妃[編集]

  • 邢秉懿 - 21歳。強姦され妊娠・流産した。北行の途中でも宿営地で兵士から性的暴行を受けていた。洗衣院で売春を強要され、25歳のとき父親不明の子を産んだ。29歳まで洗衣院から解放されなかった。南宋で皇后を贈られた。

王妃[編集]

  • 朱鳳英 - 17歳。鄆王趙楷の妃。大勢の金兵に輪姦され、妊娠・流産した。その後は、洗衣院に入れられ、25歳までの8年間、凌辱を受けた。

その他[編集]

  • 徐聖英 - 18歳。徽宗の夭折した皇子の婚約者。処女だったが、完顔設野馬の妾とされた。

脚注[編集]

関連項目[編集]