日本列島外周気まぐれ列車

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日本列島外周気まぐれ列車(にほんれっとうがいしゅうきまぐれれっしゃ)とは、レイルウェイライターの種村直樹がライフワークとして行った鉄道旅行徒歩旅行

概要[編集]

1979年国鉄盛線で国鉄全線完乗を達成した種村直樹は次の目標として私鉄完乗を目指したが、日本列島の海岸線を丹念に辿る旅を考えた。長距離フェリーに乗っても寝ているうちに海岸線を通り過ぎるので、日本列島から次々と失われる古い時代の景色を見ようと定期運行している鈍行のみで時計の反対回りで外周しようと試みた。反時計回りにした理由は特にないが、筆者も同行者も当時は北指向が強かった。それが後に、特定地方交通線の廃止直前の乗車や青函航路の乗船、国道229号改良前の乗車に繋がった。

期間[編集]

1980年6月5日、東京日本橋を出発、2009年まで、年に2~4回、1回あたり約5日間かけて行った。最長片道切符の旅や、本人の病気のため、中断した年もあった。96回、493日で完結した。

方針[編集]

目的地への下調べは行わず、公共交通機関の鈍行のみで反時計回りで行うというのが原則だが、原則には例外がつきもので、南西諸島へ向かった際、フェリーが運休になるなど、進行に影響が出ることがあった。公共交通機関のないところはレンタサイクル、貸し切りタクシーも使い、それもないところは積極的に歩くことにした。「気まぐれ列車」といっても歩くことも厭わず、徒歩旅行に近く、参加者の一人は「気まぐれ列車は歩くことと見つけたり、ですか」とぼやいていた。数多くの岬に立ち、とんぼ返りせず、あくせくしないことにした。

宿泊施設[編集]

宿の予約も当日行うので、新潟県で泊まった民宿のおかみさんは、予約もしないで10人もの旅をするとは恐ろしい人だと呆れた。初期は同行者の好みでビジネスホテルに泊まることも多かったが、同行者が替わり、夕食がその土地で取れた魚尽くしの僻地の民宿や温泉に泊まることが多くなった。暗くなって景色が見れないなら意味がないので「お日様とともに起き、お日様とともに眠る」と、明るいうちに宿に着き、朝早く宿を出発した。

郵便貯金[編集]

郵便貯金通帳に、訪れた郵便局の数だけ貯金をし、郵便局名のゴム印と主務者印をもらう郵便貯金も行った。積極的に郵便局に立ち寄り、目的が郵便局巡りに近くなった。

現状[編集]

東京日本橋を出発してから40年以上経ち、社会情勢は大きく変わった。当時、筆者が乗った鉄道やバス、歩いた道路の中には消えてしまったものも多い。民宿にしても次々と消え、中には集落そのものが消えてしまったものもあるが、北海道に特に顕著である。そのような理由で、当時の姿をありのままに記したこの作品は資料的な価値が高い。

掲載誌[編集]

鉄道ジャーナル社の季刊「旅と鉄道」に掲載された。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

『旅と鉄道』鉄道ジャーナル社